学校に行けないわが子に対して、どうしたらいいの?
わたしが学び、さとったことです。
母親のメンタル安定が一番大切
不登校になった親は、本当にパニックになりますよね。
悲しみに暮れ、自分を責め、子どもの対応に思い悩み・・・
でも、結局、何をさておき、お母さんのメンタルってとっても大事。
もしも、もしもですよ。
あなたが道を歩いていたら、急に具合が悪くなってその場に倒れちゃったとします。
ああ、誰か~・・・と声にもならない声で助けを求めた時に、
たまたまそこを通りががった看護師さんがいたとして・・・
ちょっとホっとしますよね。
心の中で、良かった・・・看護師さん・・・と思っていたら・・・
きゃ~~~~、
どうしよう・・もうダメ・・・
どうしたらいいの???もう見てられない・・・
頼りたくなった看護師さんが、実にオロオロしていてパニックになっていたら、めっちゃ不安になりますよね・・・
えええ・・・・
もしかして、もうダメ・・・?・・
傷ついている子どもは、親の、特に母親の反応にもとても敏感に反応します。
倒れた人を助ける時、一緒になって倒れていたら助けてあげられないですよね。
子どもの不登校に傷ついて思い悩むのですが、ガーっと落ち込んだら、今度はいかに自分のメンタルを整えるかが大切だと思います。
子どもと同じ立ち位置で一緒にいてあげられる
2週間に一度のペースで学校の先生とわたしだけ面談しています。
ついさきほども、先生とこんな会話をしました。
実は、ゲームが大好きなわが子。もともと好きなことは突き詰めてやる性分で、それなりに強いようです。(ゲームがさっぱり分からない母)
そんなわが子に間違った声掛けをしていたなーと最近になって気がついたって話なんです。
ゲームが楽しい!と、動画で上手になる研究なんかもしたり、一時はランキングものに名前が入ったりと、わが子なりに一生懸命やっていたゲーム。
わたしはゲームを認められるようになっていて、楽しそうだね♪と思えるようになっていたのですが、
「何かやりたいこととかできたら、何でもいいから言ってね。習いに行っても、見にいったっていいし、何でもできるんだからね」
そう言っていました。
ゲーム、楽しい!と言ってて、自分なりに研究して上達しようとしているわが子に対して。
いや、ゲームがやりたいことなんですよね。
今のわが子にとって。
それって、大丈夫なの?それを認めちゃっていいの?
でも、夢を描くのも、どんな大人になりたいかを抱くのも、わが子の自由なんですよね。
もしもですよ?
わが子がはまっているのがゲームではなく、弁護士になるための勉強だとしたら・・・
同じ声掛けをわたしはしたでしょうか???
たぶん違うんですよね。
これは、ゲームを認めたと頭では思いつつも、そのうちに別のものに興味がいってくれないかな~って、わたしの無意識の願望てんこもりの声掛けをしていたなーと思って。
子どもは、特にわが子は、誘導されるの、めっちゃキライですから。
下心なんか、すぐ見破っちゃうから。笑
そうそう、今、ゲームを楽しんでるわが子に、
「ゲームって、楽しいんだね。おもしろいね」
ただそれでよかったのにって思うんです。
そんなことを学校の先生に話したんです。
そしたら、
同じ場所から見る。大人はつい先へ引っ張ったり誘導しようとするけど、子どもと同じ位置で見てあげることが大事と大学院で教育や心理学を学んだ時に教授が言ってました。それと同じことをお母さん言ってますね。
よかった、ここまでの道のり、すったもんだはあるけれど、間違ってないと思いホッとしました。
あれ?先生。それって不登校の子供だけじゃなく、普通に子供みんなにも同じなんですか?
そうそう、同じ立ち位置から見るって、
不登校にも関係ない、子どもを導く職業の先生も学んでおられたのです。
あれ?そうするとですよ、
不登校と不登校以外の子どもも関係ないとしたら、
子どもと大人も関係ないんじゃない?と思いつき・・・
そう、同じ立ち位置でいること。
それって、人間にとって、とっても嬉しいことなんですよね。
寄りそうってことなんですよね。
ああ、不登校だから、とか、子どもだから、とか、ぜんぜん関係ないんだな・・
だた不登校の子どもはとても傷ついていて、親以外に頼る人がいない、
見渡せる世界が狭いから、大人が感じるよりも、より絶望的に感じているのかも。だから余計に、同じ立ち位置にいてあげることがとっても大切なんだと思います。
不登校とは直接は関係ないのですが、寄りそうことについて親とケンカして学んだ記事です。お時間ある方はどうぞ。
客観視できる第三者の視点
子どもと同じ立ち位置になると同時に第三者の視点が欲しいと思います。
わたしのことですが、同じ立ち位置を意識すると、
はたして今の位置は大丈夫なの?って不安になるときがあるんです。
わが子はほぼ外へは出ていません。
まあ、外へ出る理由があんまりないのもあるけれども・・・
そんな子どもと同じ位置、同じ意識を意識していたら、
あれ、大丈夫か我が家・・・
これ、離れ小島になってないかい?
進む方向はこれで合ってる?
そうです。
客観的に、やっていることが合っているのか?っていう確認が必要になってくるんです。
おそらく、自分ではできないかな、と思います。
自分のことって、自分じゃ分からないですよね。
他人だから見えることもある。
だから、子どもと同じ位置でモノを見つつ、その見る方角がトンネルの先に見える光の方向になっているかどうか。
大事ですよね。
間違って、トンネルを逆行したら元も子もないです。
わたしは今、本当にありがたいことに担任の先生がとても理解があり、この役目をしてくださっています。
学校の先生でも、本当にひとりひとりで考え方が違います。
今の担任の先生と話していても、そうおっしゃってました。
その先生で何を重要視して教えたいのか、どんなことに力を入れている先生なのかでも対応が変わってくると思います。
もしいま、理解が得られない先生になっていたとしても学年が変わってまた違ってくると思います。
ぜひ、冷静な立ち位置から見られる第三者を見つけることをおすすめします。
そして第三者は、ぜったいにお母さんと子どもを責めない人を選んでください。
話していて胸が苦しくなる、落ち込んだ・・・そんな場合は、他の人にしてください。
学校の先生だけではなく、もちろんわたしも含めて、色んな考え方の人がいますよね。
ツライ状況なのに、わざわざツライ状況になる場所や人には接しなくていいですよ。
自分が楽になる人、場所を選んで、ご自分を大切にしてください。
今日は学校の先生と話していて、
進んでる道は間違ってない♪
やっていることは間違っていない♪
それって、不登校の子どもだけではなく、全人類の欲求と同じなんだと分かった♪
その驚きと喜びで記しておこうと思いました。
参考になったら嬉しいです。