繊細っこの子育て

わが子の不登校:善意をありがとうと受け取れる状態を保つこと

学校へ行っていない我が子のこと。

日々、修行だと感じる毎日ですが、自分の気づきを記しておきます。

善意をありがとうと受け取れなかった日々

学校へ行けない我が子は傷ついていました。

学校へ行けなくなったこと、学校での出来事、学校が楽しくないと感じていたこと、先生との関係、親とのこと。

眼の前の我が子がこれ以上傷つかないように、守ることに必死でした。

学校からの提案、関連機関とのやりとりなど、我が子の状況に合っていず、分かってもらえないことにストレス、さらには、分かってもらえてないのに助言をされることにも大変ストレスで揉めたりしました。

でも、こんな状態、イヤなんです。

他人の好意はありがたく受け取りたい。

それが多少ありがた迷惑な感じでも、今までのわたしなら、ありがたく受け取れていた。

なのに、子どもの不登校に関することに対しては、

「どうして分かってくれないんだ」

「理解ないのに口を出さないで欲しい」

そう思っていました。

先日、ママ友とゆっくり話す機会がありました。

妹さんが不登校を経験していたので、わたしの気持ちや状況を理解してくれました。

2時間くらい話しして、わたしはとてもスッキリ。

こころがスッキリすると、こころにスペースができました。

ちょっとゆとりがとれたというか、こころの余裕がとれました。

ママ友に感謝しながらその余裕のできた心で考えたのです。

不登校は少数派。

大多数の人にはなかなか理解できないところがあるかもしれない。

でも、その大多数の人に敵意を持ってしまうか、それとも、ちょっと的が外れた善意でも、ありがとうと受け取れるかどうかって、その後の人生で変わってくるのかな?って。

少なくても、今の時点で、我が子ができなくても、

親であるわたしが、善意をありがとう、と受け取っていけるかどうか、

今後の我が子の人生に影響してくるんじゃないかって思います。

今日は、的は外れていたのだけれど、善意であれこれ言っていた校長先生に、素直な気持ちで「ありがとうございます」と伝えられたことをとても嬉しく思いました。

わたしは看護師という職業ではあるけれど、HSPで生きづらさを抱えていました。

それでも、周りの人に「ありがとう」って気持ちで生きてこれたことは、これからも大事にしたい。

そして、そんな母親を見て、我が子が前へ進む時に、

周囲の人に「ありがとうございます」って気持ちをもって生きていけるようになったらいいな。

これも親のエゴかな。

こう思えるまでに1年半かかりました。

まだまだ人生の修行は続きます。。