繊細っこの子育て

他者は変えることができない。不登校にも実践できている?

子育てをきっかけに心理学を学んだり、傾聴について学んでいます。

ここ数年で親と初めてケンカをしたり、子供との関係、夫との関係を見直して実践しています。

よく聞く「他人を変えることはできない。変えられるのは自分だけ」

これって、どういうことなのだろうか?

わが子が不登校になると、「なんとかしたい」と思い悩み、

ネットや本、援助機関を頼り、

ワラにもすがる思いでこの記事を読んでくださる方もいると思います。

わたしも思い悩み、でも結局、こういうことかもしれない・・・

わたしが思っていることです。

それをのぞけば学校大好きな場合

わたしのママ友のお子さんA君も、わが子と同じタイミングで不登校になっていました。

でも、半年ほどの短時間で学校へ行けるようになったと聞きました。

このA君の場合

「学校へ行けない理由がはっきりしていた」です。

コロナが流行りはじめ、とにかくコロナが怖くなって外へ出られなくなったそうです。

「コロナがこわい」「学校は大好き」「友達も大好き」「先生も大好き」

そして、何より学校へ行きたい、と言っていたそうです。

A君のお母さんの理解もあったと思います。

少しずつ外出し、学校も少しずつ行ったり、を繰り返して、

普通に通えるようになったそうです。

ここで大事なのは、

本人が、本当に「学校へ行きたい」と思っていることだと思います。

本当に、です。

本当に・・?

子供が行きたいと言ってるなら、行きたいんじゃないの?

違う場合があると思うんです。

「行きたい」じゃなく、

本当は「行かなきゃ」と思っているんじゃないか?ってことです。

「行かなきゃ」と思っているのに「行けない」

「行かなきゃ」と思っている気持ちを

「行きたいんだよ~~~!!」と言ってる場合があるのでは?

それをそのまま「行きたい」と解釈してしまっていないかな?

A君の場合のように、

本当にコロナという原因をのぞけば行ける場合もある。

例えば、いじめがあって、

その原因のお子さんと会わない環境なら行ける

その場合は転校するとか、和解するとか、解決できることがあると思うのです。

でも、「行きたい」と言ってる言葉が、

子どもの、学校へ戻らないといけない!と思っての言葉なのか、

本当に学校が好きで戻りたい、と思っているのか、

そこを理解していくことが大切だと思うんです。

他者は変えられない

じゃ、学校へ行かなくなったわが子を、

思い悩んでツラそうなわが子を、そのままほっとくのか?

もちろん、そうではないんですが、

よく言われている

他者は変えられない、変えられるのは自分だけ・・・

わが子が不登校になった時、

この子をなんとかしなきゃ・・・

と、子どものために、ありとあらゆることをやったと思います。

家に閉じこもって体力が心配だったので毎日散歩に連れ出す。

勉強の遅れが心配でプリントを手作りし教える。

昼夜逆転にならないために午前中には部屋のカーテンを開ける。

などなどなどなど、たくさんです。

でも、それがいいことに繋がったか?

あ、このいいことっていうのも、きっとわたしにとってのいいこと。

学校に行けるようになる、とか、

学校に行かなくてもいいから自分で勉強をするとか、

勉強はしなくてもいいから自分なりの学びをするとか、

わが子を変えよう変えようと頑張った1年半くらい・・

いや、正直に言うと、色んな気持ちを手放してるつもりでも、

実は「こうなって欲しい」って気持ちが潜在的に潜んでいること、

いや、もっと顕在的な意識に残っていることを、自覚したりする。

他者を変えようと思う=他者への不満

不登校ママは、とにかく元気が一番。

好きなことやって、笑顔で過ごすのが一番って言われないですか?

実際、わたしもそうだと思います。

でも、なんでお母さんが好きなことをやって、笑顔で過ごすのが一番なのか。

わたしが通った道なんですけど、

他者を変えようとすることは、他者への不満があるから。

子どもが不登校になった時、夫にもすごく不満がありました。

夫へイライラしていました。

イライラを察して夫もイライラしていました。

もともと、夫は難はありますが 優しい性格です。

でも家の中の空気はピリピリしていたと思います。

同じだと思うんです。

わが子にも、現状のわが子を不満に思って、

変えなきゃ・・と思うことは、

結局、わが子には、「なんかイヤがられている」っていうメッセージが伝わる。

このままじゃダメでしょ、とか、そんな負のメッセージ。

そう感じて、子どもが自分から動けるとは思えない。

たぶん、落ち込ませたり、関係性が悪くなったり・・・

だから、やっぱり、

母親といえども、

他者は変えられない、変えられるのは自分だけ、なんだと思うんです。

子どもって、

生まれた時は、

食べることも、トイレも、

何にも自分でできなくて、

お母さんが全部やってあげないと、それこそ生きていけかなった。

だから、お母さんにとって子どもって、

他者ではない感覚になっていると思うんです。

わたしがそうでした。

でも、わが子も、

そうか、他者なんだ、と思うようになりました。

いや、他者だと思って接することが、わたしにとっての課題だとも思っています。

わが子だからと思っているから、

他者には言わないようなアドバイスをついつい言ってしまいそうになったり、

他者には言わないような余計なヒトコトを言ってしまったり、

わたしにとっての課題ですね。

できてたつもりなんですけど、

ちょっとわたしに心配事ができたりすると、

やっぱり、ぽろぽろとほころびが出てくる。

ちょっとした口調だったり、

メンタルが安定している時は優しく受け流せていたことも、

つい不満な態度を見せてしまう・・・

気をつけないとな・・・

そうそう、他者とは、

自分の子どもも含めてってことですね。

夫との関係は、

わたしから意識して変えたんです。

そしたら夫も変わってくれた。

これがいいのだと思うんです。

わたしが変わったら、

周りも変わった~^^

そう、それは

わが子も同じだと思います。