繊細っこの子育て

自己肯定感が低い我が子、不登校で気が付き猛烈に後悔した私の子育て

良かれと思って言った。
良かれと思ってやっていた。

実は相手にとって、とっても迷惑だった、ってこと、人間関係では多くありますよね。

我が子なら、親として、
正しい方へ導きたい、
幸せになるように育てたい、
そう信じてやっていた子育てが、

本当は子どもにとって、マイナスだった。

マイナスどころか、大きな傷をつくっていた。

親としては、とてもショックなことですが、
我が家の場合はその事実に、最近気が付きました。

不登校中の我が子は、自己肯定感がとても低くなっていました。
その原因は、親の接し方が悪かったと、今、とても後悔しています。
時が戻せるなら、あんな対応をしたことを訂正したい、と後悔と涙です。

少しでも悩めるママさんの参考になれば幸いです。

息子の「僕には価値がない」という言葉

不登校になった時、息子は「僕には価値がない」と言いました。

「生きている意味が分からない」「何も楽しいことはない」「僕には価値がない」と。

ショックでした。
 
 
自己肯定感がこんなに低くなっていたのか、と。
息子は自分の生きている意味、価値さえ感じられなくなっていました。
 
 

わたしは、それまでの子育てを振り替えざる負えなくなりました。

習い事が続かなかった我が子

活発でお友達も多い子どもでした。
でも知らない人、知らない場所にはとても抵抗があり、慣れるのにも一苦労。

それでもお友達が習い事を始めたら、それに釣られるようにやりたいと言い、習い始めます。
でも、それは長くは続きません。

特に、発表会が予定されたり、大会が決まったりすると「やめる!」と辞めてしまうのです。

続かないことはダメだと教えていたわたし

私は、続かないことをとてもダメなことだと教えました。
自分からやると言ったなら、続けなさいと。

「すぐ辞めちゃうようでどうするの」
「嫌なことから逃げてばかりでダメだよ」
「この先、嫌なことがあったら逃げてばかりいられないんだよ」

我が子にそう言っていました。
時には無理やりに連れて行くこともありました。
 
 

絶対的存在であろう親から、辞めるたびにこんなふうに言われていたら、どんな気持ちだったでしょう。

「僕は、逃げてばかりでダメな子だ」と思ってしまって仕方ないですよね。
 
 
社会に出たら、イヤなことでもやらないといけない時がありますよね。

イヤなことから逃げてしまう我が子に、やり続ける大切さ、やり続けることで身につけられることを身につけて欲しいと思っていたのです。
 

 
こうやって、私のしつけという名の親としての願望を押し付けることで、期待に応えられない我が子は、とても傷ついたことが想像できます。

追い詰めて夢をも奪う

そんな風に育った我が子は、サッカーが大好きでした。

恥ずかしがって親には言いませんでしたが、2年生の学校の七夕にはつたない字で「サッカーせんしゅになりたい」と書かれていました。

本人は、自由に遊ぶサッカーが好きでしたが、習い事としてのサッカーは好きではありませんでした。
ですが、本人が希望しないのに、サッカーチームに入るように仕向けてしまったのです。

親としては、「サッカー選手になるには、サッカーチームに入ったほうがいい」と思ったからです。
運動神経が抜群に良かったので、本気になれば夢ではないかも、とも思えました。

そして小学生になり徐々に全てのことに自信がなくなっていると感じていた私は、努力すれば上達し、自信を取り戻してくれるのではないかと考えたのです。
 
 
しかし、人見知りなのにサッカーチームへの途中入部。
自分より上手な子がたくさんいるのを知った我が子は、自信も無くし、サッカーへの楽しさも無くしたのでしょう。

時々、サッカー辞めたいと言ってはいましたが、許しませんでした。
続けて努力すれば、それが息子の自信になるはずと信じて疑わなかったのです。
 

 
そのサッカーチームも不登校と同時に辞めることになりました。
 
 
「サッカー好きだったのに、キライになった」そう言われました。

入りたくもないサッカーチームに入れられて、キライになったと。

激しい後悔

子どもの夢は無限大です。

子どもの夢は自由です。

その夢を追う事も、途中で違う夢になる事も、夢を諦める事も

その子の自由ですよね。

無邪気な「サッカーせんしゅになりたい」と表現することも自由です。

私はきっと、そんな表現することへの自由も奪ってしまったのではないか、
ただ単に、サッカーが好き、という気持ちさえ、奪ってしまった。そう思っています。

私の決意

そんな激しい後悔があります。

こんな私ですが、我が子は「大好き!」「世界で一番大好き!」と言ってくれます。

もう二度と、こんなことはしないと強く思っています。

子どもの人生は子どもの人生。

何を選ぶか、どういった方向へ進むか、
選択肢は示しますが、どれを選択するかは、我が子の気持ちを優先させると我が子にも約束しました。

そして、「こんな僕なんて」と思わせてしまった私の子育てですが、

これから先は、「そのままでいいんだよ」「生まれてきてくれてありがとう」

こう思って欲しい、こう感じて欲しい。

私の価値観をひっくり返してでも、
我が子が自分の価値を認められるような関わりをしていくつもりです。
 

 
間違わないように、
この子が幸せになるように、
 

 
そうなる為に、日々、悩みながら、でも楽しみながら、

我が子と向き合っています。

じゃ、どうしたら、この子が幸せと感じてくれるのか、このままでいいんだ、と感じてくれるのかは、まだまだ模索しています。

今は、たくさん、一日に何回も「ギュッ」と抱き締めて、大好きだと伝えてます。

アドラー心理学の課題の分離

悩みに悩んで、子どもと向き合いながらわたしなりに改善しようと必死でした。

心理学の本も読みました。その中にアドラー心理学の本もありました。
アドラー心理学に課題の分離というものがあります。

まさしく、わたしはこの答えを導き出すのに必要なことでした。

後悔した経験から我が子に絶対にしないと誓っていること

・我が子の進む道にレールを引かない
・答えは我が子にしかない
・我が子の人生とわたしの人生は別である

我が子の進む道にレールを引かない

親が良かれと思ってレールを引かない。
そんなにいい道なら、わたしが行け。

道を進むも、どの道を選ぶも、子ども本人が選ぶ。

答えは我が子にしかない

わたしにとって良いと思うことも、我が子にとって良いかは分からない。

子どもがどうしたいのか。

答えは子どもの中にしかない。

我が子の人生とわたしの人生は別である

心配して、子どもの将来を考えて、と思うのは、思うだけにする。

我が子の人生とわたしの人生は別。
我が子は、自分の道を歩いている。

お伝えしたいこと

子どもは、親を選んで生まれてくるといいます。

私を選んでくれたのだから、全力て答えたいと思っています。

同じ方法での子育て、声掛けが、その子どもさんにとって、正しいのか正しくないのか、

そのお子さんで正解が変わってくるのではないかと思います。

なぜなら、だれ一人、同じ人はいないからです。

でも、わたしの子育ての方法は、我が子には間違っていたと思っています。

不登校になって初めて気が付いたのです。

もし、私のように悩んでいるママさんがいるならば、途方に暮れているママさんがいるならば、

ここで気が付いて良かったと思い、

ここから一緒に頑張っていきましょう。

少しでも、どなたかの参考になったなら嬉しいです。
 
 

その後、関係を再構築してきました。

不登校の小学生の息子との関係の再構築】母の私に心を開いてくれるまで小学校不登校中の息子はHSC。 不登校期間、11か月。 その間に息子の気質HSCを知り、本やネットで関わり方を探っての日々。 関わ...

もし参考になるようでしたら覧ください。