職場の人間関係の悩み

「役に立ちたい」そう思っただけなのに病床の父親に看護師の私が拒否された原因

少し前の話。田舎で暮らす父が寝たきりになったと連絡があり、急いで実家に帰りました。

夜通し介護をしていた母に早く代わってあげたいと思ったのと、父が心配だったからです。

寝たきりになっていた父親

一家の大黒柱の父親がベットで寝たきりになっていました。

実家の家族の健康、畑の管理など、全部父親がやっています。

実家では肝心かなめな父なのです。

わたしが実家に戻った時は、一人で介護をしていた高齢の母親も疲れきっていました。

父が寝たきりになっていたのは、ここ数年、身体に原因不明の痛みがあり、その痛みのせいでした。

夜中に尿意をもよおせば母に尿器を当ててもらい、手の関節も腫れて痛みがあるため食事も食べさせてもらっていました。

足の関節も激しく痛み、寝返りも大変です。

そして動けないことで父親のメンタルも落ちているのは、弱弱しい声になっていたことで充分にわかりました。

帰ってそうそう、ゆっくり寝がえりを手伝いながら、シワになって大きくずれているシーツを整えました。

床ずれが心配で、さっと背中や腰を見ましたがキレイでした。

だんだん元気になり離床できることに喜びを感じる

わたしが帰省したことで安心したのかもしれませんし、痛みも少しずつ治まってくるようになりました。

自分で寝返りができるようになり、ゆっくりベットの頭側を自分でギャッジアップして過ごす気力も戻ってきました。

口まで運んでもらって食べていた食事も、自分で箸を持ち食べるようになってきました。

発する声もハリが戻りつつあります。

日に日に父親が回復してくるのがわかり、本当に嬉しかったです。

尿器に取る尿も、はじめは濃く臭気の強いものでしたが、水分を多く摂るように促すとキレイな尿になってきました。

頭部ギャッジアップ→ベットに腰かけて座る(端坐位)→つかまり立ちと、少しずつン段階をふんで手伝いました。

ベットで寝たままで身体を拭いて着替えていたのが、ベットに腰かけて清拭、着替えができるようになりました。

身体のあちらこちらの関節が痛むので、下着の脱ぎ着も看護師の知識が役立ちましたし、床ずれの兆候はないか?の確認や清拭、足浴、痛みを見ながらのリハビリもできました。

看護師をやっていて良かったと本当に思いましたし、父にも母にも感謝されていたと思います。

車イス移動するときにスリッパを履きたかった父

そんな中、病院を受診するために車イスに乗ることになりました。

まだ初めてベットに腰かけ始めた頃です。

身体が大きな父なので、私ひとりでは車イスへ移れるか不安でしたが、介護タクシーの運転手さんが慣れているとのことで車イスへの移動をお願いすることにしました。

受診の日、そろそろ介護タクシーが来るので着替えをして待っていました。

畳の部屋です。車イスをベットサイドに置いています。

そこで父が

「スリッパを履く」と言いました。

わたしは、まだ自力での立位が保てないであろう父が、スリッパを履くとかえって危ないので、車イスに座った後にスリッパを履こうと伝えました。

ところがスリッパを履いてから車イスへ移動すると言ってきかないのです。

簡単に足から抜けてしまうスリッパは、おぼつかない足には大変危険です。

そう父に何度も話すのですが、スリッパを履かせろと言ってきかない父と、ダメだと譲らないわたしはだんだん大声で喧嘩になってしまいました。

何十年と一家の大黒柱で過ごしてきた父が、娘にダメだと言い続けられたことをすごく怒ったのです。

わたしの頭の中は、「いやいや、危ないんだから。スリッパなんて後でいいじゃん。看護師のわたしの言うことがなんで分からないかな!」そんな気持ちでした。

「介護をやってるからって上から見てないか?」

その大喧嘩のときに父から言われた言葉があります。

「介護をやっているからって上から見てないか?」

上から見てるなんて意識はさらさらありません。

ただ看護師という職業柄、こういう時はこうだよね、という看護師としては当たり前と思うことをやっていただけです。

そのとき思ったのは、いままで一家の大黒柱の父が、家族から強く意見されることがなかったので、今回わたしが父の言うことは間違っていると指摘したことが「上から見られてる」と感じるんだなと理解したつもりでした。

父からの電話

その後、父は歩けるまでに復活し、わたしは安心して実家をあとにしました。

それから数カ月して、父から電話がありました。

今度は母が不調を訴えて病院で検査をしたところ、かなり状態が悪い。

手のほどこしようのない癌が見つかったと言うのです。

電話ごしに父の話を聞いて、かなり深刻な状態だと分かりました。

家に帰ることを伝えたわたしに父が言った言葉は、

「家族の娘として帰って来てくれね。

患者の家族として帰って来てくれ」

でした。

最初はちょっと意味が分からなかったのですが、

病気になった母の娘として帰って来て欲しい、患者家族の娘として帰って来て欲しいということは、

家族の痛みを分かち合う、悲しみを共有できる家族として、娘として帰って来て欲しいということだと理解しました。

知識を持った看護師に来て欲しいのではない。

先が長くないと告知されショックを受けている父に寄り添うこと、ツライ状態の母に寄り添うこと、一緒に共有できる家族であって欲しいということだと理解しました。

父が寝たきりになった時、看護師としての知識がとても役に立ち、それまで親孝行ができていなかったわたしは、ちょっと帳消しにしてもらえるような、少し親孝行ができたと思っていました。

でも、それだけだったんです。

高齢な父に寄り添うこと、色んな葛藤の中で過ごしていた父に寄り添うことができていなかったのです。

寄り添うことって、家族なら、大事に思う家族なら、自然にできることかもしれません。

でもその時のわたしは、父が元気になれるように、また元のように元気になるように看護師の目線で必死でした。

でも父は、ずっと親であって、ずっと娘でいて欲しいと思っている。

たまに帰って来た娘には、優しく寄り添ってもらいたい、家族として共感してもらいたい。

看護師としての知識などより、家族としての温かみを求めていたんだと思いました。

父の援助をしていた時も、寄り添ってない感覚はまったくありませんでした。

わたしは親子として接していたつもりです。

でも、感じ方はそれぞれで、親子でも感じ方は違いますよね。

ツライ状況のとき、人は寄り添ってもらうこと、ツラさ、悲しみを共有してもらうことで、とても救われますよね。わたしもたくさん経験があります。

親がツライ状況のとき、その気持ちに寄り添うことが、娘として求められてること、それは看護師の知識では補えないことなんだと知りました。